日本語の先生になろう。

【三幸先生の日常1.2】始終と終始

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2019年12月26日(木)

Category:コラム

日本語教師をしていてうれしいものの一つに、学習者からの質問があります。授業中の質問も、授業を盛り上げたり、深めたりしてくれて、もちろんありがたいのですが、授業の後に、授業中はそれほど積極的ではない学生からされる質問もとてもうれしいものです。

 

先日私が受けたのは

 

「『始終(しじゅう)』と『終始(しゅうし)』の意味は同じですよね?」

 

という衝撃の質問でした。

 

でも、そこでその学習者の疑問を笑ったり、バカにしたりしたら日本語教師失格です。いい日本語教師は「どうしてこの学習者は同じ意味だと考えたのだろう」と考えてみるでしょう。「始終」と「終始」、よく見てみると確かに似ている・・・・・・というか「始」という漢字が先に来ているか後に来ているか「だけの」違い。これは難しいわい、と納得がいきます。

 

さて、私どのようにこの質問をさばいたでしょうか?

 

 

そのとき私は「『始終』は『いつもいつも』で、『終始』は『初めから終わり』までかなぁ」と言いながら、黒板に

 

 

と書き、「△△先生は授業の中で、始終、自動詞と他動詞の見分け方の話をする」「○○先生は授業中終始にこにこしています」という例文をあげてみました。これでなんとかわかってくれたようです。

 

わたしは授業の中でもよく「≒」を使います。数学の「ニアリーイコール、だいたい同じ」という意味の記号でしたよね。 日本語学校の授業の中で、新しいことばが出てきたときや学生が「その言葉の意味は何ですか?」と聞いてきたときに、その言葉を「≒」の左に書きます。そして、その言葉を学習者が知っているであろうと思われる言葉を使って言い換えた「言葉」や「定義」を即興で(!?)「≒」の右側に書きます。

 

「いいですか、皆さん。今わたしが右に書いたことは、左の言葉と全く同じではありません。でも、左の言葉がずっとわからないまままでいるよりは、だいたい右側に書かれたような意味なんだなと考えて次に進む方がいいと思いませんか」と問いかけます。「もっと正確な意味はあとでスマホ(の辞書)で調べてくださいよ?」と付け加えるのを忘れないように気をつけながら。

 

私のことを「ニアリーイコール先生」とカゲで呼んでいる学生もいるかもしれません。

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